群言堂の思想を語ってきたのは、「株式会社 石見銀山生活文化研究所(以下、群言堂)」会長の松場大吉さんと、所長の松場登美さん。そしてその世界観を体現してきたのが、ふたりから厚い信頼を寄せられている元左官の楫谷稔さんです。

百姓という言葉は、百の仕事ができるという意味で使われることがあります。暮らしの知恵と技術、経験が豊富な楫谷さんは、古民家再生を通して「群言堂らしさ」を形にしていく、魔法使いのような存在。使われなくなった廃材を活かして建物の外観や内観、さらには室内の家具や調度品をしつらえたり、庭を整えたりと修繕を進めます。

他郷阿部家の廊下には楫谷さんが漉いた土壁が。
他郷阿部家の台所からお風呂に続く外通路の土塀は、楫谷さんが漉いた土壁が。床に耐火レンガが敷き詰められ、竹細工のざるやカゴが掛けられている 
廃材を活かしたランプシェード
石油ストーブの芯を活かしたランプシェード

物知りな彼の周りには、群言堂の若い社員が、飲み会のたびに集まるのだそう。

「お茶を飲みに来んかい」って登美さんに誘われて

── 松場夫妻との出会いを、覚えていますか?

楫谷 稔(以下、楫谷) 15年くらい前になるのかなあ。きっかけはわしの娘が群言堂で働き始めたことです。わしが仕事を辞めて島根県大森町の隣にある大国(おおぐに)に戻ってきた頃、登美さんに「お茶を飲みに来んかい」って誘われました。それで登美さんちに行ったら「明日からでも、うちに来て働いて欲しい」って言われてな(笑)。

群言堂・梶谷さん

── お茶を飲みに行っただけなのに……(笑)。

楫谷 そのときちょうど仕事もしてなかったしね、まあええかと思って。

── 群言堂や、松場夫妻のことはすでにご存知だったんですか?

楫谷 名前は知っとったけれど、何をしとるのかは具体的には知らんかったです。友達が「『ブラハウス(*1)』いうミシンを踏んどるお店がある」ってことだけ教えてくれた。

(*1)ブラハウス:松場大吉・登美夫妻が1979年に立ち上げた、雑貨ブランドの名称。

── 群言堂での最初のお仕事は、何でしたか?

楫谷 プレハブ倉庫を1週間くらい磨いた。でも、こんなことをしとっても続かないなあと(笑)。ある日、群言堂本店の庭の剪定をしていたら、大吉さんに「ちょっと手伝っとくれ」と声をかけられて、本社の横にあるトイレをつくった。そのあとは登美さんと大吉さんに、ちょっと認められたかなと思っています。

── あの素敵なトイレですね。

群言堂
右側の建物がトイレとなっている
本社の横にあるトイレの手洗い場。常に清潔感が保たれ、旬の花が添えられている。
本社の横にあるトイレの手洗い場の水琴窟。常に清潔感が保たれ、旬の花が添えられている
群言堂のトイレの床には廃材の金具が文様のように、はめ込まれている。
群言堂のトイレの床には割れてしまった石州瓦が文様のように、はめ込まれている

楫谷 トイレの図面は、大吉さんが引いていてね。

── 新しい建物やものをつくるとき、楫谷さんに対する具体的な指示は、大吉さんや登美さんからはじつはないのだ……という話をうかがいました。なんとなく「こういうものがあったら素敵だな」という雰囲気だけ伝える、と。

楫谷 ほとんどのヒントは登美さんが出すけえ。登美さんがつくりたい物をつくるために、わしは今まで拾い集めてきたものから、ぴったりの素材を探して「これを活かしてこういう物をつくってみたら」って提案する。その中で「良いね」って喜んでもらえるものをつくる。

── あうんの呼吸のようなものなのでしょうか。そうすると、お二人との信頼関係が大切になってくるかと思います。大吉さんや登美さんとの関係性については、どう考えていますか?

楫谷 わしはふたりのことを尊敬しとる。わしもふたりに信頼してもらっているとは思っているんだけど、実際はわからん(笑)。

── とても信頼し合っているように見えます。書籍『群言堂の根のある暮らし』の中でも、登美さんは「古民家再生は修復し過ぎてはいけなくて、そのバランスが難しいけれど、楫谷さんのセンスは絶妙で過不足がない」とおっしゃっていました。

楫谷 うーん、まあセンスがあるかは分からんけど、群言堂でやっている仕事はわしが好きなことやけえ、何をしていてもとても楽しくて嫌になることがないなあ。今までわしがやってきた仕事は、だいたい4、5年すると自分の立ち位置や他人からの見られ方が分かってくるからおもしろくなくなって、正直あまり続けたいと思えるものではなかった。

今は正社員ってわけじゃないけえ、毎日ここに来んでもええんだけど、登美さんたちから、あれがほしいとか、机を直したいとか、いろんなことを頼まれる。毎日来んと自分の仕事が溜まるばっかりだ。

……うれしいなと思っとる。

── あはは(笑)。いい環境なのですね。

拾うものはあっても捨てるものはない

── 楫谷さんの目には、使っていない廃材が、可能性を秘めたものに映るのだと思います。これを使いたい!と心がときめく瞬間って、どんなときなんですか?

楫谷 気に入ったものがあると、こいつはすごいな!ってなるけえ。ところが、めったなんぼ、これはすごいなって思えることはないなあ。ゴミの中から使えるっちゅうものを見つけたときには、うれしい。そのままでは使えないものでも、部品にバラすと使えそうなところが出てくるけえ、良いところだけをとっておいてね。

染物で使用していた木版。柄の跡がきれいに残っていて、宿「他郷阿部家」や西荻窪のお食事処「Re:gendo(りげんどう)」にも、この廃材を使ったテーブルや机がある
京友禅に使用していた染板。柄の跡がきれいに残っていて、他郷阿部家や西荻窪のお食事処「Re:gendo」にも、この廃材を使ってつくられたテーブルや机がある

── なるほど。

楫谷 拾いものを家にも持ち帰っているから、家の周囲も、もので溢れています。家族には「また何か拾ってきた」って言われる(笑)。誰が言うたか、「拾うものはあっても捨てるものはない」っていう言葉のとおり、なんでもかんでも拾ってくる。わしが歩いたあとは草木も生えんけな(笑)。

楫谷さんが拾ってきた木材や家具、建具などは、廃校になった小学校を借りて倉庫にし、保管している。楫谷さんの秘密基地のようだ
楫谷さんが拾ってきた木材や家具、建具などは、廃校になった小学校を借りて倉庫にし、保管している。楫谷さんの秘密基地のようだ

── そもそも楫谷さんが、古くなり使われなくなった廃材を集めるのはどうしてですか?

楫谷 そうだいね。今のひとたちは何でもかんでもすぐ買うて来るけんね。そんな買うて来なくても、身近に使えるものがたくさんあるだろうって思う。この地域では農業もしとるけえ、畑や山に行けば何でもある。それでも店で買うて来て、袋を下げて帰って来るひともおる。

── 買うのではなく、身近にあるものを使って、つくる。

楫谷 建物をつくるのに必要な木材は、製材所に行けば、ますなもん(マシなもの)がある。でもわしは、たとえ曲がっていても、その曲線が美しい木材なら、なんとかして自然なまま活かせんかなあと思う。でも改修の時に、ほかの大工さんに曲線が美しい木材がどうのと言っても、相手にしてもらえんときも多いからなあ。「製材所に行ってまっすぐな木材を買ってこい」と言われてしまうのが関の山。

それで自分で改修に必要な材料をつくるようになった。

群言堂・梶谷さん

── つくる目的ありきで素材を揃えるのではなくて、素材から、何をつくれるかを想像するんですね。

楫谷 「何かに使えんかな」っちゅうような視点から、建物の素材を見つけます。で、「机が欲しい」とか「本棚が欲しい」って言われたときに、たくさん拾ったもののなかから、材料になりそうなものを選びます。

群言堂・梶谷さん
取材した当日は、ススキの柄模様の入った土壁をつくっていた

じつは目立ちたがりな、歌って踊れる男です

── 楫谷さんは、群言堂の根っこにある世界観を、どうしてこんなにピタリと体現できるのでしょうか。

楫谷 さあ、どうしてかねえ(笑)。大吉さんと登美さんが仕掛け人やけえ、ふたりの話を聞きながら、今持っている材料でどんなことができるかを考えて、仕事をしてきましたね。

── 今、登美さんがお住まいの古民家「朝日館」は会社の女子寮ということですが、これからまた改装していくんですよね? お仕事が絶えないですね。

楫谷 「朝日館」の改装は大体終えておる。今、取り組んでいるのは10軒目の「加藤家」。

── 群言堂が手がけた、すべての古民家の改修に関わっていらっしゃるんですか。

楫谷 だいたいそうだね。

── すごいですね。

楫谷 まあ、大きな仕事は職人さんと一緒にやるから。たとえば西荻窪の「Re:gendo(りげんどう)」や、「gungendo 湘南T-SITE店」にあるカウンターのうしろの大きな土壁なんかは、わしがつくっています。

── 私、「gungendo 湘南T-SITE店」に行ったことがあります。

楫谷 ほんと? うれしいね。

── でも、たとえば「gungendo 湘南T-SITE店」と他郷阿部家は雰囲気が違うと思うんです。でも楫谷さんは、建物やその土地に合わせて、そこに一番適した「群言堂らしい空間」をつくることができる。なぜそんなことができるのだろう?と思うんです。

楫谷 まあそれも会長たちの言葉にヒントがあるけんね。大吉さんや登美さんがこういう風にしたい、ああいう風にしたいというイメージを持っている。材料や色を決めて、ある程度形にしてあげたら、「それ良いね」とか「もうちょっとこういう風にしたほうがええね」とかいう要望を聞きながらつくりなおしていけばできる。

群言堂・梶谷さん

── 楫谷さんみたいに、誰かの想いを具現化できるひとをすごく尊敬します。そういうひとの存在があるからこそ、組織やチームが成り立つという部分もあるから。なにより楫谷さん自身も楽しんでいらっしゃるところが素敵だなあって。

楫谷 楽しんでいますよ。

── そうやって言えることはすごく幸せなことですよね。社員の方がみなさん口をそろえておっしゃっていましたが、楫谷さんからは「自分から前に出よう」という感じがあまりしません。一方で「安来節(やすきぶし)」の踊りの師範代でもあります。踊っているときは自分が主役として舞台に立つ瞬間。そういうときは、ではどんな気持ちでいるのですか……?

楫谷 どうだろなあ、じつは目立ちたがりかもしれん(笑)。昔は大阪に習いに行ったりしてなあ。上機嫌なときには歌も歌うよ。

── 歌って踊れる男なのですね! 普段は、「自分がつくったものは駄目だ」っておっしゃているとうかがっています。

楫谷 最近は頭の回転がおそなったし、自分で自信を持って自慢できるヒット作もない。それでも仕事させてもらってるけえ、安来節のときは目立とうと思って(笑)。自分よりいろんなことができるひとばっかりだけえな。

── 安来節と同じように、もっと仕事について自慢して欲しい気もします。

楫谷 前はよく登美さんに、阿部家をお客さまに案内してほしいって頼まれてたな。でも、阿部家を案内したら、壁も洗面台も台所も、あれもわしがやった、これもわしがやったって、自慢しながら歩くことになる。こそばゆいから、やっぱりこれからも案内はせんよ(笑)。

群言堂・梶谷さん

(一部写真提供:石見銀山生活文化研究所)

お話をうかがったひと

楫谷 稔(かじたに みのる)
島根県大田市仁摩町大国(旧・邇摩郡大国村)出身、昭和16年生まれの74歳。現在は嘱託スタッフとして群言堂の環境保全を担当している。廃材を利用して店舗で使う什器を作ったり、古民家を再生する際や店舗内装を作る際に大工・左官仕事をしたり、スタッフに米づくりを指導したり、なんでもこなす群言堂のお百姓。歌や踊りも得意で、安来節の踊りは天下一品。「楫パパ」と呼ばれ、スタッフ全員から信頼を集める人気者。

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